デジタル大辞泉
「酒井田柿右衛門」の意味・読み・例文・類語
さかいだ‐かきえもん〔さかゐだかきヱモン〕【酒井田柿右衛門】
[1596~1666]江戸初期の陶工。肥前国有田の人。中国の上絵付けの技法を学び、日本で初めて赤絵の焼成に成功、国内外に大きな影響を与えた。子孫代々柿右衛門を名乗り、その作品をも柿右衛門という。
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酒井田柿右衛門 (さかいだかきえもん)
肥前有田の陶工で,江戸前期から今日まで,14代にわたって独特の色絵磁器を焼く。初代柿右衛門(生没年不詳)は,正保(1644-48)ころ,明の五彩磁の技法を日本ではじめて完成したといわれている。酒井田家は有田皿山の中心部から離れた南川原(なんがわら)山に窯を築き,伊万里焼とは性質を異にする上質の色絵磁器を焼成した。濁手(にごしで),乳白手などといわれる純白の白磁に,赤,青,青緑,黄,紫などの色絵具を用いて花鳥人物文などを描いた色絵磁器(赤絵)は,柿右衛門様式として知られている。しかし歴代の柿右衛門が,その柿右衛門様式の色絵磁器の完成にどのようにかかわったのか,明らかにする資料はない。色絵磁器は,17世紀中ごろからオランダ商人の手でヨーロッパに輸出され,マイセン窯など各地の色絵磁器の発展に大きな影響をあたえたが,柿右衛門様式の色絵磁器も,輸出向けの生産を通じて急速に完成度を高めていったようである。酒井田家が有田の陶工を代表する家柄として名声を得たのは,18世紀初めころのことで,柿右衛門様式の色絵は,以来幕末に至るまで焼かれたと思われる。濁手白磁は,12代柿右衛門によって復元され,伝統技術として重要文化財総合指定を受けた。
→有田焼
執筆者:西田 宏子
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酒井田柿右衛門(初代)
生年:生没年不詳
江戸初期の伊万里焼の陶工。初名は喜三右衛門。祖先は筑後国(福岡県)八女郷の豪族上妻氏の一族だったと伝え,文明2(1470)年に酒井田村に住して酒井田姓にしたという。父の酒井田円西は筑後の辺春城落城の際に人質となり,佐賀白石郷の地で土器の製造を始めたと伝える。元和5(1619)年ごろ喜三右衛門と共に有田の曲川村(有田町)に移った。ちょうど有田では磁器の焼造を開始した時期に当たり,彼らも白磁の焼造に加わったらしい。有田の酒井田家に今も伝わる文書『覚』のなかで,ポルトガルのガリアン船(南蛮船)が来航した正保4(1647)年以前に白磁上絵付の技法開発に成功したことを記している。また長崎からオランダに最初に売ったのも自分の事績としている。さらに,金銀の焼き付けの技を工夫して大評判となり,佐賀藩主鍋島光茂に献上して拝謁の栄に浴したともいう。初代柿右衛門の事績は上記の3点だが,特に白磁胎に上絵付する赤絵(京都では錦手といった)法の開発は伊万里焼の発展に大きく貢献した。万治2(1659)年にはオランダの東インド会社がこの伊万里焼に注目して大量の注文を出したので,いよいよ本格的な世界への製品輸出をはじめたのである。現在柿右衛門様式と呼ばれる色絵磁器は,このオランダ東インド会社の注文による西欧輸出用の焼物で,これらは柿右衛門の歴代が製造したわけではなく,伊万里焼の陶工たちが総力を挙げて作った製品であったことが,近年の伊万里焼の窯の発掘で証明されている。したがって,初代柿右衛門の作陶の具体像は不明といわねばならない。<参考文献>矢部良明「柿右衛門」(『陶磁大系』20巻)
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酒井田 柿右衛門(12代目)
サカイダ カキエモン
明治〜昭和期の陶芸家
- 生年
- 明治11(1878)年9月9日
- 没年
- 昭和38(1963)年3月7日
- 出生地
- 佐賀県有田町
- 本名
- 酒井田 正治
- 学歴〔年〕
- 有田徒弟学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本伝統工芸展日本工芸会会長賞〔昭和30年〕「濁手の作品」,文化財保護委員長賞〔昭和32年〕,ブリュッセル万国博覧会大賞〔昭和33年〕
- 経歴
- 父について陶技、図案を学び、大正6年12代柿右衛門を襲名。昭和15年商工省から工芸技術保存作家に指定され、25年日本貿易産業博覧会で受賞。初期柿右衛門が創出し中絶していた濁手(にごしで)の素地の技法を13代目と共同で30年に完成した。同年無形文化財記録選択となった。
酒井田 柿右衛門(13代目)
サカイダ カキエモン
昭和期の陶芸家
- 生年
- 明治39(1906)年9月20日
- 没年
- 昭和57(1982)年7月3日
- 出生地
- 佐賀県有田町
- 本名
- 酒井田 渋雄(サカイダ シブオ)
- 学歴〔年〕
- 有田工製陶科〔大正13年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 紫綬褒章〔昭和47年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和53年〕
- 経歴
- 卒業後、家業に従事し、昭和30年12代目とともに江戸中期以降途絶していた濁手(にごしで)素地の復元に成功。38年13代目柿右衛門を襲名、45年佐賀県陶芸協会会長。46年柿右衛門製陶技術保存会を結成、会長となり、伝統技術の保存と継承にあたる。同年濁手の技法が国の重要無形文化財に総合指定された。代表作に「胡蝶蘭」。
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「酒井田柿右衛門」の意味・わかりやすい解説
酒井田柿右衛門【さかいだかきえもん】
佐賀県有田の陶工。初世〔1596-1666〕は白磁,染付の改良に努めた後,長崎で赤絵の技法を学び,1640年ころに日本最初の赤絵焼成に成功した。作品は乳白色の素地に細い線で雲竜,鳳凰,松竹梅などの文様を描き気品高い。初世のころから外国に輸出され,西欧で柿右衛門手と称される模倣作が作られた。その後子孫が襲名して,第15代酒井田柿右衛門(1968年―)は2014年に襲名。→伊万里焼
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酒井田柿右衛門(14代) さかいだ-かきえもん
1934-2013 昭和後期-平成時代の陶芸家。
昭和9年8月26日生まれ。13代酒井田柿右衛門の長男。昭和43年伝統工芸展に初入選。57年14代柿右衛門を襲名。59年日本陶磁協会賞。重要無形文化財「濁手(にごしで)」の技術保持団体である柿右衛門製陶技術保存会会長。平成11年九州産大教授。13年人間国宝。18年日本工芸会副理事長。平成25年6月15日死去。78歳。佐賀県出身。多摩美大卒。本名は正(まさし)。作品に「濁手山つつじ文鉢」など。
酒井田柿右衛門(初代) さかいだ-かきえもん
1596-1666 江戸時代前期の陶工。
文禄(ぶんろく)5年9月25日生まれ。酒井田円西の子。父とともに肥前有田(佐賀県)南川原(なんがわら)で磁器をやく。高原五郎七,東島徳右衛門にまなび,呉須権兵衛のたすけをえて,正保4年以前に色絵磁器(赤絵)を創始。その磁器はのちオランダに輸出され,人気をえて伊万里焼興隆の基礎をつくった。寛文6年6月19日死去。71歳。初名は喜三右衛門。
酒井田柿右衛門(12代) さかいだ-かきえもん
1878-1963 明治-昭和時代の陶芸家。
明治11年9月9日生まれ。11代の長男。父にまなび,大正6年12代を襲名。乳白色の濁手(にごしで)素地の技法再現につとめ,昭和28年成功した。30年日本伝統工芸展で日本工芸会賞,選択無形文化財保持者。33年ブリュッセル万博で大賞。昭和38年3月7日死去。84歳。佐賀県出身。有田徒弟学校卒。本名は正次。
酒井田柿右衛門(13代) さかいだ-かきえもん
1906-1982 昭和時代の陶芸家。
明治39年9月20日生まれ。12代の長男。昭和38年13代を襲名。父とともに濁手(にごしで)素地の技法再現に成功し,46年柿右衛門製陶技術保存会会長となる。同年同会は重要無形文化財に総合指定された。昭和57年7月3日死去。75歳。佐賀県出身。有田工業卒。本名は渋雄。
酒井田柿右衛門(3代) さかいだ-かきえもん
1623*-1672 江戸時代前期の陶工。
元和(げんな)8年12月17日生まれ。初代酒井田柿右衛門の次男。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯3代。当代のころ西欧への本格的な輸出がはじまったとつたえられる。寛文12年10月14日死去。51歳。
酒井田柿右衛門(6代) さかいだ-かきえもん
1691*-1735 江戸時代中期の陶工。
元禄(げんろく)3年12月10日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯6代。5代が没したとき幼少であったため,叔父酒井田渋右衛門が後見した。享保(きょうほう)20年5月3日死去。46歳。
酒井田柿右衛門(5代) さかいだ-かきえもん
1660-1691 江戸時代前期の陶工。
万治(まんじ)3年9月1日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯5代。技量がおちたためか,貞享(じょうきょう)2年鍋島家の御用を一時さしとめられた。元禄(げんろく)4年7月3日死去。32歳。
酒井田柿右衛門(11代) さかいだ-かきえもん
1845-1917 明治-大正時代の陶芸家。
弘化(こうか)2年8月1日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯11代。大正年間に柿右衛門合資会社を設立した。大正6年2月8日死去。73歳。名は渋之助。
酒井田柿右衛門(2代) さかいだ-かきえもん
1620-1661 江戸時代前期の陶工。
元和(げんな)6年11月4日生まれ。初代酒井田柿右衛門の長男。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯2代。初代よりはやく,寛文元年7月27日死去。42歳。
酒井田柿右衛門(8代) さかいだ-かきえもん
1734-1781 江戸時代中期の陶工。
享保(きょうほう)19年10月8日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯8代。安永10年3月10日死去。48歳。
酒井田柿右衛門(9代) さかいだ-かきえもん
1776-1836 江戸時代後期の陶工。
安永5年5月16日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯9代。天保(てんぽう)7年1月2日死去。61歳。
酒井田柿右衛門(7代) さかいだ-かきえもん
1711-1764 江戸時代中期の陶工。
宝永8年2月15日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯7代。宝暦14年2月26日死去。54歳。
酒井田柿右衛門(4代) さかいだ-かきえもん
1641-1679 江戸時代前期の陶工。
寛永18年4月5日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯4代。延宝7年8月15日死去。39歳。
酒井田柿右衛門(10代) さかいだ-かきえもん
1805-1860 江戸時代後期の陶工。
文化2年8月1日生まれ。肥前有田(佐賀県)の柿右衛門窯10代。安政7年3月10日死去。56歳。
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酒井田柿右衛門
さかいだかきえもん
肥前国有田の伊万里(いまり)焼の代表的陶工の家系。とくに初世が色絵の創始者として有名。先祖は筑後国上妻郡出身といわれ,初世の父円西は元和年間に有田に移住し,製陶を行ったと伝える。初世柿右衛門は喜三右衛門(きざえもん)と称し,1647年(正保4)以前,伊万里の商人東島徳左衛門の援助をうけて,白磁胎に色絵付する技法を中国人に学んで成功。しかし歴代の作風は明確でなく,いわゆる柿右衛門様式とよばれる色絵磁器は,柿右衛門1人の作ではなく,伊万里焼の陶工たちの技の結晶であることが,近年の考古学調査で明らかとなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
酒井田柿右衛門
さかいだかきえもん
(初代)1596〜1666
江戸前期の陶工。赤絵の始祖
肥前(佐賀県)有田の人。もと染付白磁を焼いていたが,正保年間(1644〜48)苦心のすえ赤絵を発明。その作品はオランダ人によりヨーロッパにも輸出され,強い影響を与えた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
酒井田柿右衛門(初代) (さかいだかきえもん)
生年月日:1596年9月25日
江戸時代前期の伊万里焼の陶工
1629年没
酒井田柿右衛門(6代目) (さかいだかきえもん)
生年月日:1691年12月10日
江戸時代中期の陶工
1735年没
酒井田柿右衛門(3代目) (さかいだかきえもん)
生年月日:1623年12月17日
江戸時代前期の陶工
1672年没
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世界大百科事典(旧版)内の酒井田柿右衛門の言及
【赤絵】より
…清朝の成立とともに康熙・雍正・乾隆期には粉彩と呼ぶ精緻な五彩磁が作られ,よりいっそう絵画的な表現を展開していった。 日本では江戸時代の初期,1646‐47年(正保3‐4)ころ酒井田柿右衛門が中国の技法によって赤絵を完成したと伝える。その後,伊万里磁器は寛文~元禄期(1661‐1704)に全盛期を迎え,柿右衛門様式,古伊万里様式,鍋島様式,古九谷様式などが確立され,また遠く西欧に輸出されて,18世紀前期にはドイツのマイセン窯で色絵磁器を生んだ。…
※「酒井田柿右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」